« 監督日誌 | メイン | 山本保博 監督日誌 »

山本保博 監督日誌

12月2日 徳島県鳴門市の島田島を訪れた。鳴門の海をはさんで対岸に淡路島が見える。
62年前の8月2日、この島の2キロ沖で住吉丸が米軍機に急襲され、予科練生など82名が亡くなった。この住吉丸の事件は、「陸に上った軍艦」でも、戦争末期に宝塚海軍航空隊を襲った悲劇として取り上げている。
炎上する船から海に飛び込んだ予科練生を助けたのが、この島田島の漁師の方達である。
危険を顧みず手こぎの船を出した。そして17名の若い命が助かった。
その顕彰碑が、十数年前に淡路島を望む田尻浜に建てられた。
そして昨日、新しいモニュメントの除幕式が行われた。
画家の野尻弘氏による、救助の模様を描いた「慟哭の海」の複製画が、顕彰碑の前に飾られることになった。その「慟哭の海」のタイトルを、新藤兼人監督に揮毫して頂いた。
その除幕式に、映画が縁で僕が呼ばれた。

モニュメントは、地元の人達の寄付によって賄われ、式もまったく島の人達の手作り。
話が持ち上がって3ヶ月程でここまでこぎ着けたとのこと。
地元の人達の思いがいかに強かったのか感じさせられる。
序幕の綱を引いたのは、島田小学校の全校生徒の6人。6年生が4人、5年生が1人、4年生が1人。
その中に一緒に僕も入る。

島田の子供達は、5年前から住吉丸の事件を調べ、自分たちで絵を描き紙芝居や朗読劇として今まで続けてきたという。
モニュメントは、出来上がってしまえば形だが、ここでは、子供達の心のなかに戦争のことを伝えようとすることが、具体的実践的に続いていることに感心した。

その6人の子どもたち描いた絵を見せてもらった。島の身近な生活を描いたものだが、どの絵もいきいきとして人物の表情も豊かだ。正直驚かされた。農林水産大臣賞までもらった子もいる。島の毎日の生活が子供達の心に何を残しているか実感させられた。絵を見ていると、僕まで少し幸せな気持ちを貰った。来年、4人の6年生が卒業すると、6年1人と5年1人の二人だけなる。すぐそこに廃校が迫っている。

十分ほど課外授業として、子ども達に僕はこんな話した。

住吉丸の事件では、14歳の少年が亡くなっている。6年生からすれば、2つほど上のお兄ちゃんだ。そういう子の、人生が突然断ち切られた。その場にいた小学生たちに将来何をしたいか、聞いてみた。
ドッグトレーナーだったり、ディズニーランドで働いてみたかったり、様々だが、誰もが持っている夢や希望を一瞬にして壊してしまうのが、戦争という話をした。それも自分の意志とはまったく関係なく、そういうことが起きる。紙一重で、命を亡くすことになる。

同じ予科練で、偶々住吉丸に乗り合わせなかったため、生き残った方がいた。その方の遺族の奥さん娘さんと一緒になった。生前、その方は度々「戦争は虚しい」と仰っていたという。その話を子供達にしてもらう。もし、その方が住吉丸に乗り合わせ命を失っていたら、今の娘さんもいなかった。

広島では、一瞬にして20万人もの人の生きる希望や夢を断ち切った。そういう大変なことが起こった。
そして、今も世界で、戦争は続いている。

退屈しないか心配だったが、一生懸命、真剣に聞いてくれるのを感じる。

地元の方の中には、住吉丸の事件が、映画にならないかなどの声もあったが、村おこしをしなければ、そのために映画をという気持ちがあるのを感じた。

来年1月13日映画館のなくなった徳島で、「陸に上った軍艦」が上映される。「徳島でみれない映画をみる会」の「がんばれ!! 日本映画」と題した20周年映画祭。徳島映画センターの四宮さんが、イベントに参加されていた。1人でも多くの方に映画をみてもらえればということだった。僕も、島田の人達がずっと持ってこられた平和への思いに重ねて、「陸に上った軍艦」を見てもらえれば有難いと思いながら、映画のこと、アピールする。このイベントには、横浜や京都から参加された方もいて、是非映画をみてみたいという声を聞いた。12月下旬から下高井戸シネマでの上映をお知らせする。

島田の子供達と短い時間だったけれど一緒に話せたことが、楽しく嬉しい時間となった。とても思い出深いものとなった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://oka-gun.com/mt/mt-tb.cgi/34

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)